(前編)20代の挫折から学んだ「自分でハンドルを握る」生き方とは 【NextCTL発起人・取締役松井氏にインタビュー】

(前編)20代の挫折から学んだ「自分でハンドルを握る」生き方とは 【NextCTL発起人・取締役松井氏にインタビュー】
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プログラム設計やソフトウェア関連のコンサルティングなど、コンピュータ周りの業務を幅広く手掛ける、株式会社コンピュータ技研。
次世代を担う若手が、素敵な人生を歩めるようにという思いを込め、若手社員育成プログラム「Next C.T.L」を2018年12月にスタートいたしました。

第1回社員インタビューは、コンピュータ技研の取締役であり、Next C.T.Lの発起人でもある松井 佑介氏にご登場頂きます。
前編は、社員も意外と知らない過去の経歴と入社当時のお話です。ぜひ、お楽しみください。

 

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−まずはご経歴についてお聞かせいただけますか。

2000年に大阪の某三流大学を卒業しまして、広告業界にはいりました。
大学3年生の頃からコピーライターのアルバイトをしていたので、その経歴を生かしたいなと。

−学生時代にコピーライターのアルバイト、珍しいですね!

当時、僕アルバイト大嫌いだったんですよ。
お金のために、時間使って、興味ない仕事するのは嫌だなって思ってて。

それで何か良い方法ないかなって考えて。
初めは自分のマンションを掃除するアルバイトをしていました。
大家さんと仲良くなって、月に1〜2回掃除して、5万円(笑)

−自ら仕事を作り出したんですね!(笑)

そうそう。で、大家さんからある時「(大学卒業したら)何するか考えてるの」って聞かれて
「実は広告業界に興味がある」と伝えてみたんです。
そしたら、そういう会社をやっている知り合いがいるから、声かけてみると言ってくれて
紹介してもらったんです。

―どうして広告業界に興味があったんですか?

世間知らずだったこともあるけど、一般的に華やかなコピーライターとか
そう言った職業に憧れていたんです。
大学の学部は英文学科で、文章に触れる機会が多かったこともあるかな。

−アルバイトではどんなお仕事を?

本当に、2〜3人で運営されている小さな広告会社さんで。
新製品の説明書の文章とか、風景写真集タイトルなんかも付けさせてもらいました。

−そして、ご卒業後は念願の広告業界に入られたんですね。

はい。アルバイトしていたところとはまた別の会社に。
でも仕事を始めてすぐに、ライターが面白い仕事とは思えなくなって。
すぐに軌道修正して、カメラマンに転向したんです。

−カメラマン!それはまたどうしてですか?

良くも悪くも、若さゆえに尖っていたのかも(笑)

当時のクライアントは官公庁系や、医療機関など少し”お堅い”ところが多くて。
一生懸命文章を考えて書いてみても、クライアントと上司の板挟みになったり
自分の文章がそのまま通ることはなかなか無い。

もっと自分を表現できて、周りに振り回されないポジションはないか考えた。
で、現場で一緒になるカメラマンさんは、あまり周りに口出しされてないなと。
まぁ若気の至りです(笑)

コンピュータ技研 松井

 

−カメラマンになってからは、いかがでしたか?

楽しかったですよ。当時は大阪でも1、2を争う有名なカメラマンさんに三顧の礼で弟子入りして。
その人について回って、海外や東京などいろんなところに行かせてもらいました。

でも、4年目くらいからまた悩み始めたんです。
仕事自体は面白いけど、自分はいつになったら独立できるんだろうかと。
当時はSNSも無いし、カメラマンとして独立するにはコンテストで賞を取るとか
そんな方法しかないけど、アシスタントとして忙しく働いていると
自分が写真を撮る機会はなかなか無い。どうしたら結果を出せるんだろうかと。

プロのアシスタントっていう道もあったんだけど、それは違うなと思ってました。
アシスタントって本当に雑用が多くて、変な仕事も結構あるんですよ。

ハワイでロケをした時に、
モデルの子が「日本にいる彼氏に電話したいから公衆電話までついてこい」とかね(笑)
自分は一体何をしてるんだろうって思いました。

−大変ですね・・。辞めようと思うほどのきっかけは何だったんですか?

ある時、撮影で海外へ行く仕事があって。その仕事の依頼をくれていた代理店の重鎮の方に
「最近どうなの?そろそろ独り立ちもし始める時期じゃない?」と聞かれて。
ちょっと悩んでいることを正直にお話ししたんです。

そしたら、次の日から仕事を干されてしまって。
仕事の現場に行っても、周りのスタッフが口を利いてくれない。打ち上げも僕だけ別行動で、と。
大の大人が寄ってたかっての仕打ちが、ショックだった。
日本に戻ってから、もう続けていけないなあと。

今でこそ、「そんなことで悩むならもういらんわ!それでも這い上がってこい!」という
教育だったのかなとも思えるけど、当時の僕からしたらそんな余裕はなかった。
口で言って!って思った(笑)

−なるほど。悩んでいる時期にトドメの一撃だったのでしょうか・・・。
そこから、次は何をされたんですか?

挫折した後だったんで、何も考えたくなくて。
配達のアルバイトを目一杯して、無我夢中で働きました。

どうしたらいいかわからない日々が数ヶ月続いて、
そこで初めて経営者だった父に相談しました。何か仕事ないかなと。

ボロカスに罵られましたけどね(笑)
だからお前はあかんねん、だからお前は何もないねん!と。

 

コンピュータ技研 松井

 

−厳しいお言葉ですね・・・。

結局、「今の会社(コンピュータ技研)の役員がうちに来たらって言ってるから
俺は本意じゃないけど来い!」って言われて。

とは言え、業界について全く知らなかったので、同業他社さんで1年間修行して
2005年28歳でコンピュータ技研に入社しました。

コンピュータ技研 松井

−入社当時のこと、覚えていらっしゃいますか?

その時のことは、社内ではもう伝説なんですけど入社初日は僕の座席はあったけど、仕事は無いし
その日から僕が来るなんて誰も知らない(笑)
雑務・事務からやらせてもらって、給与計算なんかもやっていたんですが、5年間くらいは僕が会社で一番給料低かったですね。

−5年も!厳しい下積み時代ですね。
 そこからどうやって色々な業務を担当するポジションになったんですか?

それから総務を経て人事・採用を経験したんですけど。
まぁ当時の若い僕には正直物足りなくて、営業もやってみたいなと。社長に言ってみたら、やらせてもらえて。

−でも、入社当時は、カメラマンを辞めて「もうなんでもいいや」と始めたお仕事のように
 おっしゃっていましたよね。
 どうしてそんなに色々チャレンジしたいと思うようになったんですか

それはね、きっかけがあったんですよ。
ある人と出会って言われた言葉が胸に刺さって。それから変わっていったんです。

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前編では、学生時代のアルバイトや広告業界への憧れ、カメラマンとしての下積み時代と挫折について
語っていただきました。明るく笑いを交えてお話くださるものの、下積みの大変さや当時の苦悩は計り知れません。

しかしその一方で「若手にチャンスを与えたい」という松井氏の志は
この頃のご経験から生まれたのかもしれない、とも思いました。

後編では、松井氏の人生観を変えたある人との出会い、コンピュータ技研と
Next C.T.Lに懸ける思いについて語っていただきます。ぜひお読みください。